2025/09/15 07:00
古い記憶が揺れるような午後だった。
少し風が強くて、窓辺のカーテンが波のように動いている。
気温は高くないが、春がしっかりと近づいている匂いがした。
『ボストン1947』。
戦後間もないボストンマラソンに、朝鮮半島からやってきた選手とその指導者たちの物語。
独立を目前にした祖国を背負い、差別と不信の中を走った若者の姿が、画面越しに強く胸に刺さった。
主人公のソ・ユンボク。
痩せた身体で、きびきびと走り抜けていく姿が、やけに静かだった。
ボストンの道を、アメリカ人たちの視線の中を、風のように駆け抜けていく。
歓声はあったが、それはどこか無関係なもののようにも見えた。
あの青年は、誰のために走っていたんだろう。
森一弘はふと、十代のころの自分を思い出していた。
部活のユニフォーム、泥のついたランニングシューズ。
誰に褒められるわけでもなかったが、走るときだけは、自分の中の何かが透明になった気がしていた。
「俺も、あの頃は誰かのためでもなかったな…」
つぶやいて、立ち上がる。
スープを作ろう。
心を温めるために。
そして走るために。
【ランナーズスパイスの白いんげん豆とセロリのスープ】
<材料>(2人分)
・白いんげん豆(水煮) 150g
・セロリ 1本(薄切り)
・玉ねぎ 1/2個(みじん切り)
・にんにく 1片(潰す)
・オリーブオイル 小さじ2
・野菜ブイヨン 400ml
・ランナーズスパイス(vegan) 小さじ1
・白胡椒 少々
・塩 適量
・イタリアンパセリ 少々
<作り方>
1. 鍋にオリーブオイルを熱し、にんにく・玉ねぎを炒める。
2. セロリを加えて軽く炒め、白いんげん豆を入れる。
3. 野菜ブイヨンとランナーズスパイスを加え、10分ほど弱火で煮る。
4. にんにくを取り出し、塩・白胡椒で味を整える。
5. 器に盛り、刻んだイタリアンパセリを添える。
スープの香りが部屋を包んでいく。
セロリの青さとスパイスの香ばしさが、ちょうどいい距離で共存している。
豆のやわらかさが、胃の奥をやさしく撫でた。
食べ終わるころには、心の中のざわめきが、すっと静かになっていた。
走りに行こう、と靴紐を結びながら思う。
誰のためでもない。ただ、自分の足で進む、その行為のために。
夜の道はまだ少し冷たかった。
それでも、足は止まらなかった。
祖国という言葉の重さを、直接には知らない。
けれど、走ることでしか繋げない何かがある。
それを、確かめたくなる夜がある。
ソ・ユンボクの背中を、遠くに感じながら。
一弘は、黙って前を見た。

1本の映画のように、1皿の香りを。
ひとふりで、物語が動き出す。
▶ 次の話 【映画と、走る|第4話 沈黙の中で、走れ】