2025/11/17 07:00

昭和十五年

 

支那事変の拡大と共に、日本は戦争の泥沼へと足を踏み入れていた。

箱根駅伝も二十回の記念大会を迎えていたが、時代の暗雲がその上空に垂れ込めていた。

 

関東学生陸上競技連盟の会議室で、役員たちが深刻な表情で話し合いを続けていた。

 

「学徒動員が本格化すれば、選手の確保は困難になる」

 

「しかし、大会を中止するなど...」

 

金栗四三は既に五十を過ぎていたが、その情熱は些かも衰えていなかった。彼は立ち上がり、窓の外を見つめた。遠くに見える富士山は、相変わらず雄大な姿を見せていた。

 

「継続こそが力たい。若者たちの魂を繋ぎ止めるためにも、我々は走り続けなければならんばい」

 

しかし現実は厳しかった。

昭和十六年、太平洋戦争が勃発すると、多くの学生が戦地へと向かった。大学のグラウンドからは活気ある声が消え、代わりに重苦しい静寂が支配するようになった。

 

早稲田大学の寮では、残された学生たちが細々と練習を続けていた。食料不足の中、彼らは創意工夫で体力維持に努めていた。

 

「先輩が残してくれたレシピがあります」

 

後輩の一人が、古いノートを取り出した。

 

【スパイススタミナ粥】

 

<材料>

・玄米 1合

・大豆 50g

・切り干し大根 30g

・ランナーズスパイス 小さじ1

・塩 少々

・水 適量

 

<作り方>

1. 大豆を一晩水に浸けておく

2. 玄米と大豆を鍋に入れ、多めの水で煮込む

3. 切り干し大根を加え、更に煮込む

4. ランナーズスパイスと塩で味を調える

5. 柔らかくなるまで煮詰めて完成

 

「これで何とか持久力を保とう」

 

配給される食材は限られていたが、ランナーズスパイスの効果で体は温まり、僅かながらも活力が湧いた。

しかし戦況の悪化は止まらなかった。

 

昭和十八年、学徒出陣の詔勅が下った時、箱根駅伝の運営継続は不可能となった。

多くの選手が学業を中断し、戦地へと向かった。

彼らの中には、二度と帰らぬ者も少なくなかった。

 

金栗四三は一人、芦ノ湖のほとりに立っていた。湖面は鉛色に曇り、山々も霞んで見えた。

 

「必ず復活させる」

 

彼の呟きは風に消えた。

しかしその決意だけは、胸の奥深くに刻み込まれていた。

戦争が終われば、再び若者たちがこの道を駆け抜ける日が来る。

その日まで、希望の火を消してはならない。

 

昭和二十年八月十五日、玉音放送が流れた時、金栗は涙を流した。

悲しみと安堵が入り交じった涙だった。

そして心の中で誓った。

箱根駅伝を必ず復活させると。

 

戦争は終わった。

 

しかし真の戦いは、これから始まるのだった。

継がれる走りに、香りの意志を。

受け継がれる走り、香る想い。

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▶ 次の話 【箱根駅伝五部作「走る意志」|第3話 復活への道程】