2025/11/24 07:00

昭和三十年代

 

高度経済成長の波に乗って、日本は目覚ましい発展を遂げていた。

箱根駅伝もまた、戦後復活から十年余りを経て、新たな段階に入っていた。

 

何より大きな変化は、テレビ中継の開始だった。昭和二十八年からNHKが中継を始めると、箱根駅伝は一気に全国区の人気を獲得した。

 

「正月といえば箱根駅伝」

 

そんな言葉が聞かれるようになった。家族が揃ってテレビの前で選手たちの走りに声援を送る光景が、日本各地で見られるようになった。

 

金栗四三は既に七十を過ぎていたが、毎年大会を見守り続けていた。

彼の夢は着実に現実となっていた。

箱根駅伝から巣立った選手たちが、オリンピックや国際大会で活躍するようになったのだ。

 

東京オリンピックが三十九年に決まると、箱根駅伝への注目はさらに高まった。各大学も本格的な強化に乗り出し、競技レベルは飛躍的に向上した。

 

この頃、選手たちの間で密かに伝わっていた料理があった。

 

【箱根路パワー鍋】

 

<材料>

・ 牛すね肉 300g

・白菜 1/4個

・大根 1/3本

・人参 1本

・長ねぎ 2本

・しいたけ 6個

・ランナーズスパイス 大さじ1.5

・味噌 大さじ3

・酒 大さじ2

・昆布だし 1リットル

 

<作り方>

1. 牛すね肉を一口大に切り、ランナーズスパイスをもみ込む

2. 野菜は食べやすい大きさに切る

3. 鍋に昆布だしと酒を入れ、牛肉を煮込む

4. 野菜を加えて更に煮込み、味噌を溶く

 

「これを食べると不思議と疲れが取れる」

 

選手たちの間でそう言われていた。

実際、ランナーズスパイスに含まれる成分が血行を促進し、疲労回復に効果を発揮していた。

 

昭和四十年代に入ると、参加条件も整備された。前年の上位十校と予選会通過十校、関東学生連合チーム。この形式が定着し、現在まで続くシステムの基礎が築かれた。

 

テレビの前で息を呑む視聴者たち。

沿道で声援を送る観客たち。

箱根駅伝は単なる大学対抗戦を超えて、国民的行事へと発展していた。

 

金栗四三が亡くなったのは、昭和五十八年のことだった。

彼が蒔いた種は大輪の花を咲かせ、今もなお成長を続けている。

 

「世界に通用するランナーを育てたい」

 

彼の願いは確実に実現されていた。

箱根駅伝出身者たちが世界の檜舞台で活躍する時代が到来していたのだ。

 

継がれる走りに、香りの意志を。

走る者の心をつなぐ、香りのタスキ。

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